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自分の目に映った画像であること

十数年前から自分の目を撮影しています。自分の瞳(角膜)には常に自分が現実に見ている風景が鏡に映されたかのようにリアルに映っています。

棺の大きさであること

作品は、その画像を高解像度のデジタルカメラでマクロ撮影し、「瞳景」と題して自分が死んだら入れられるであろう棺の底面の大きさ(1900mm ×600mm )に拡大しトリミングして左右を反転し、厚さ5mm の透明なアクリル板に、裏面から看板印刷で使われる大型のUVインクジェットプリンターで出力したものです。
つまり、作品の大きさは自分の死を示唆しています。
それは現在の自分の生(存在)を強調するものとも捉えています。

自分のコードと記憶が重なった画像であること

画面には、自分の瞳に映った自分が実際に見た情景に、瞳孔と虹彩が重なって写しだされされています。この画像は、単に自分が見た情景を撮影した画像とは違って、自分の目(身体)の表面であるとともに、背後の虹彩のパターンは自分を識別するコードとなり、また、それに投影された情景の画像は、自分しか見ることのできない脳内に蓄積されている膨大な画像群(記憶)の一部にきわめて近い画像として、自分自身(精神)の存在と独自性を強く表す画像であると考えています。 

自分の日常であること

その情景は、つりに出かけた丹後の海や、道で見た黄色い花の群生、家に飛んできたカミキリムシや船岡山公園に息子と虫取りに行った時に地面に映った自分の影、何度も登った愛宕山など、自分のまわりの日常です。

作品に向けて

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」とは、かの鴨長明の方丈記の冒頭の一文です。この一節に込められた無常観に深く共感を覚えます。自己の存在の痕跡や疑問がこのシリーズの表現の根幹です。